名古屋市のメガネ屋さん メガネ・アベール
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名古屋市メガネアベールの歴史
メガネアベールの歴史
メガネアベールはおかげさまで、開業40周年を迎えることができました。ありがとうございます。メガネアベールの歴史をご紹介いたします。
①昭和52年 祝誕生 |
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アベールとは英語の”avai”から引用。メガネを通じてお役に立ちたいという思いが込められています。当時は夜10時まで営業。 家に帰っても誰もいないので2代目は店へ直帰。このライトバンが子供部屋のようなものでした。 。 |
②昭和52年 創立後の2代目の様子 |
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2代目当時5歳。店では邪魔者扱いされるので、狭い駐車場で一人遊び。その後は隣の本屋さんで車の雑誌を立ち読みし本屋さんでも邪魔者扱い。 夕食は顔なじみの近所の居酒屋さんに姉と二人で食べに行き、ライトバンで就寝。
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③昭和62年 2号店出店 |
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景気が良くなり2号店を出店するが、1号店のようにうまくいかず低迷。 この時の先代の口ぐせが”2号店が軌道に乗ればOOOだ”なんて言っていましたが、特に変わらず低空飛行でした。 |
④平成9年 2代目入社 |
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修行を終えた2代目が”2号店を立て直すぞ!”と意気込むが世の中そんなに甘くなく、朝から晩まで暇な日々を過ごす。 暇にまかせてメガネをいじくりまくったり、眼鏡学校時代のテキストを読み返したり、読書をしていました。
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⑤平成12年 東海豪雨で2号店水没 |
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東海豪雨で2号店水没してしまいました。 商品はすべて廃棄処分。お客様のデータが入っていたパソコンも壊れ、カルテは泥だらけ。取引先の営業さんの協力を得て復興するが売上はさらに低迷し、やがて閉店することに。
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⑥平成17年 新装オープン |
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1号店のすぐ隣の店舗が空いた為、移転することに。 1号店に比べ店舗も駐車場もかなり広くなる。お嫁さんも加わり、先代夫婦、番頭さん、2代目夫婦と皆で力を合わせて、順調な滑り出し。 DMには”地域一番店を目指します!”と宣言。鼻息が荒かったあの頃。
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⑦平成20年 不況 |
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移転後は”しばらく安泰だわ”と思いきや、まさかのリーマンショックで不景気に。 さらにスリープライスショップの台頭でまたまた、恐ろしい氷河期に突入。 何をやっても当たらず、お手上げ状態。
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⑧平成25年 不況脱出 |
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予想外にホームページが当たり氷河期脱出!遠方からのお客様が増える。 大変喜ばしい事ですが、”それにふさわしい店なのだろうか?”と自問自答。”もっと腕を磨かねば”と決意。
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⑨平成26年バトンタッチ |
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顔は似てるが性格は真逆の先代と2代目。 営業トークが上手でお客様をその気にさせ販売力が強い先代。人見知りで職人気質の息子。 衝突することも多々ありましたが、そのエネルギーがいい方向に作用したと今は思っています。
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⑩平成27年 先代引退 |
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2代目の子供が産まれて嫁が抜け、高齢の為、先代夫婦が抜け、職人の西尾さんと二人だけに。 西尾さんにこれ以上負担を掛けられないし、人手不足で困った困った。 狭い人脈を頼りにスカウト活動を試みるが1年以上成果なし |
⑪平成29年 即戦力社員入社 |
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過去にアベールを担当していた元営業マンの菅沼さんに声を掛け、ご縁あって入社決定。 さすがは眼鏡業界30年以上の大ベテラン!即戦力として活躍。 ようやく人手不足を解消する。
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これからもより良いメガネを皆様にご提供できるように精進いたしますので、今後ともよろしくお願い申し上げます。
アベールと共に人の歴史
40年ひと昔・・・・色々ありました・・・・
メガネもかけてきた人と共に歴史があります。

アベールとは英語の”avai”から引用。メガネを通じてお役に
立ちたいという思いが込められています。
当時は夜10時まで営業。家に帰っても誰もいないので店へ
直帰。このライトバンが子供部屋のようなものでした。